ゲーメスト No.56/1991年4月号
発売年月日:1991年2月28日(発行:4月1日)
出版社:新声社
項数:120ページ
定価:500円(税込)
概要
言わずとしれたアーケードゲーム専門誌の代表格ですが、今号が私にとって特別な意味を持つのは、初めて『ストリートファイターⅡ』を誌上に取り上げたナンバーであるという理由によります。
一応「4月号」ということですが、月刊誌の「~月号」の数字は概ね1ヶ月くらいズレているもので、今号が発売されたのは2月28日……最初の『ストリートファイターⅡ』────所謂「無印ストⅡ」がアーケードでの稼働を開始する1週間前のことでした。
Before ストⅡ
対戦型格闘ゲームの「元祖」にあたるタイトルは何かという話は以前に拙作の動画シリーズでも取り上げたことがありますが、諸説あって定説の確立には至っていません。
しかしながら、現在の対戦型格闘ゲームの基礎を築いたタイトルは何かということであれば、万人が口を揃えてストⅡにその端緒たるを認めるところでしょう。
これは裏を返せば、それ以前の『ゲーメスト』の誌面を彩っていたのはアクションやシューティングといった他ジャンルのゲームだった、ということでもあります。
それはストⅡ稼働直前に発売された今号も同様で、多くのページが『ドラゴンセイバー』や『パロディウスだ!』、『ガンフロンティア』といったSTG作品に割かれています。
「ゲーメスト=格ゲー雑誌」という先入観の強い後期読者や当時を知らない人が見たら、別の雑誌を読んでいるような感覚に陥るかもしれません。
もう少し前の時期であれば『ファイナルファイト』をはじめとしたベルトスクロールアクションが大きく扱われているのですが、この頃にはブームも沈静化して落ち着いてしまった感があります。
同人誌の残り香
『ゲーメスト』は元々、大手ゲームサークルが当時新興の出版社・新声社に声を掛けられて会報誌を商業化するところから始まった、同人文化にルーツを持つ雑誌です。
その辺の話も動画でしているので、まぁなんか、死ぬほど暇でやること無い時にでもご覧ください。
それゆえに創刊当初は内輪ノリ的な空気も強く、読者を置いてけぼりにする意味不明の記事が掲載されることもしばしばありました。
有名タイトルをパロった架空のゲームを紹介する記事に、これまた架空の企業広告を付けた架空のメストを10ページ近くダラダラと掲載するセルフパロディが何の予兆もなく始まったり、ゲームの仕様上ありえない嘘のハイスコアを並べる謎のランキングコーナーがあったり……
無論そうした空気は読者数の増加に伴って薄れていき、同時に記事のレイアウト等も見直されて「素人臭さ」が次第に抜けてくるのですが、今号はその過渡期にあり、上述のような明らかな悪ふざけこそ廃されているものの、各種記事の作りにはどことなく、「手作り感」が漂っています。
特集:SNK新時代
さて、冒頭で述べた通り、私にとっての今号の存在意義は「ストⅡの初登場」にあるわけですが、実のところストⅡの記事は巻頭の見開き2ページだけしかなく、編集部が最も注力している目玉企画は41ページ目のセンターカラーから始まる「SNK新時代」と題した11ページぶち抜きの特集記事になります。
遡ること2ヶ月────2月号で発表された「第4回ゲーメスト大賞」はカプコンの『ファイナルファイト』が圧倒的な得票で大賞に輝くのですが、その表彰においてSNKもまた新型システムウェア『NEOGEO』の開発・普及によって「特別賞」を受賞していました。
私は文字通りのネオジオフリークですから、当時においてNEOGEOの何が画期的だったのかという話をしてしまうと、ここまでに費やした文量の軽く2倍くらいの長文が以下に続くことになりかねないので、それは別の機会にということで……とにかく、オペレーターの負担を大きく軽減する新型筐体の流通によって、80年代末に存在感を失っていたSNKは一挙に業界の注目の的になりつつありました。
本特集ではSNKの創業以来12年にわたる歩みを年表、代表作の解説付きで振り返るとともに、開発スタッフの「今年」にかける意気込みを伝えるインタビュー、NEOGEOタイトルの紹介などが誌面所狭しとばかりに詰め込まれています。
実際、「今年=1991年」には『餓狼伝説』がリリースされることになるのですから、本特集は結果としてSNKの有言実行の証左となり、メスト編集部としても面目躍如の大成功を収めたと言っていいでしょう。
まぁ、この特集の中には餓狼の「が」の字も出てやしないんですけどね……。
雑感
この記事を書いていて真っ先に思ったのが、「アレ? そういえば俺って、いつから格ゲーやってんだろう?」ということでした。
今号の発売日の1991年2月28日の時点では私はまだ3歳児でしたから、さすがに稼働直後からゲームセンターでストⅡをやっていた、ということはないでしょう。
とはいえ、翌年にストⅡダッシュがリリースされる際には「四天王が使える」というニュースを幼稚園児の身で大事件として取り沙汰していましたから、遅くとも92年春には格ゲーデビューを果たしていたのは間違いありません。
当時、私は山口県の西部────工業用セメントを作ることだけが取り柄の、海沿いの地方都市に住んでいました。
なにぶん四半世紀以上前のことなので記憶も定かではありませんが、家から少し離れたところにダイエーか何かの大型スーパーが所在していて、土日に家族総出で出掛けていって、母親が食料品や衣料の買い物をしている間、本屋やゲームコーナーを見て回っていたのを憶えています。
ウチの親父はゲームには関心の無い人間ですから、率先して息子たちに100円玉を与えてゲームをさせたとも思えないのですが、暇さえあれば何かの本を読んでいる親父は本屋に行けば何かを買うことになり、そうなると息子にも400円そこそこの漫画本を買い与える羽目になりますから、アーケードゲーム1プレイの方が「むしろ損害を抑えられる」という目論見があったのかもしれません。
よく、ストⅡの稼働当初は筐体の前に長蛇の列が形成され、プレイ時間よりも待ち時間の方が長いのが当たり前だった的な話は聞きますが、私自身は列に並んでストⅡの順番待ちをした記憶が無いので、当時でもさすがに地方のスーパーのゲームコーナーでそこまでの状況は発生しなかったものと思われます。
4歳児に乱入対戦を挑んでくる輩もそうはいませんから、基本的にはCPU戦で3ステージ目まで行ってボコボコにされて終了というクソしょうもないプレイを延々繰り返していましたが、それでも私や周りの子たちを惹き付ける魅力が格ゲーにはあったのでしょう。隣近所でストⅡをやっていない男子なんて一人も存在しない……それくらいの勢いで、格ゲー文化は私たちの日常に急速に浸透していくことになります。