はじめに
『サムライスピリッツ』シリーズには服部半蔵や柳生十兵衛をはじめとした「歴史上実在した人物をモデルにした別人設定のキャラクター」や、徳川慶寅のような「実在人物の血縁者という設定のキャラクター」が登場するほか、初代ラスボスである天草四郎時貞など「暗黒神の力に呑まれ、魔界の手先と化した歴史上の人物本人」という設定のキャラも、例こそ少ないものの存在しています。
その希少な例の一人が表題の由比正雪なのですが、サムネ画像の1シーンで名前が出される以外にゲーム内での出番は一切ないため、天草と違って各種設定・エピソードの追加や人物像を掘り下げた描写がなされることがないまま四半世紀を経過────このままでは、将来的にサムスピファンから愛される大人気キャラに化ける可能性も絶無ですので、どうせ今後も公式から何かしてもらえることもないだろうし、この場で詳説してしまおうと思った次第です。
史実の由比正雪
由比正雪*1は、江戸時代初期に「慶安の変」と呼ばれるクーデター未遂事件を起こした軍学者です。
謎の前半生
出自については諸説あるものの、駿河国(現在の静岡県西部)出身であることは多くの史料で一致しており、そう高い身分の生まれではなかったようです。
どこで誰に兵法を学んだかも定かではないものの、長じて江戸に上ると自ら楠木正成*2の後裔を称して「由比 民部之助 橘 正雪*3」と号し、神田に南木流軍学の道場「張孔堂*4」を創設します。
出自の怪しさはともかく軍学者としての手腕には卓越しており、張孔堂は全盛時には3,000人にも及ぶ門弟を抱える大きな成功を収め、正雪自身も諸藩はおろか徳川将軍家からお抱えの軍学者としてスカウトされるなど、3代将軍・家光の治世には「時代の寵児」とも言うべき存在となりおおせたのです。
幻の倒幕計画
関ヶ原の戦い以後、江戸幕府は武断的な統治を推し進め、多数の大名家が改易・減封の憂き目に遭います。主家を失って路頭に迷った浪人(牢人*5)たちの中には百姓・町人へと転じる者もいましたが、あくまでも武士としての生き方を捨てられずに仕官先を求めて諸国を放浪する者も多く、中にはやくざ者・野盗と化して市井の治安を乱す者もあり、浪人の急増は当時の社会において深刻な問題となっていました。
それだけに幕府からの誘いを蹴って草莽の士のまま声望を高める正雪のもとには徳川幕藩体制への不満を募らせた浪人たちが集まるようになり、いつしか張孔堂は「反体制派の一大拠点」といった様相を呈するようになっていきます。
また、当時そうした幕政の在り方に対し「御三家*6」の一角たる紀州藩主・徳川頼宣が批判的な言動を披瀝していたことも、正雪らの行動を後押しする結果を招きました。
頼宣は徳川家康の十男で、その薫陶最も篤かったと言われる秘蔵っ子────当時の徳川一族の中で将軍・家光に次ぐ存在とも言うべき位置にいた人物です。
頼宣自身が実際にどのような考えを持っていたかはともかく、「頼宣が(浪人衆を率いて)武力を以て現在の幕閣を排除し、実権を掌握しようと企てている」という風説が流布したことは正雪たちの勢力拡大や資金調達に大きく寄与したことでしょう。
慶安4(1651)年に家光が病没すると、将軍職はまだ数え11歳の嫡男・家綱が継承する運びとなります。正雪と門人たちは将軍の幼少と新体制の不安定による世情の動揺という好機を得て、浪人救済を謳った幕政転覆の挙に出ます。
その概要は
- 同志・丸橋忠弥らが江戸各所を焼き討ちし、水道に毒を流して市中を混乱せしめ、
紀州藩士を装って江戸城へ潜入し重臣たちを暗殺、将軍・家綱を人質に取る。 - 時を同じくして正雪は故郷・駿河に潜伏、久能山の金蔵を襲撃して
資金を強奪の上、駿府城を占拠する。 - 京・大坂でも騒動を起こし、それに乗じて後光明天皇を誘拐、
倒幕の勅許を得て政治の実権を握る。
というもので、計画通りに事が運べば、実に門人2,000人あまりを動員する極めて大規模な同時多発テロとなるはずでした。
しかし、時の老中・松平伊豆守の息のかかった一部門弟の裏切りによって計画は事前に幕府側に漏洩……正雪は秘密が露見したことを知らないまま駿河へ進発し、駿府町奉行所に宿所を包囲されて自刃という最期を迎えることになります。
事件は歴史に少なからぬ影響を与えました。
正雪が巷説を利用せんがために紀伊藩主・徳川頼宣の密書を偽造したことで、幕閣から謀反の疑いをかけられた頼宣は以後10年にわたって領国・紀州へ帰国できない状況に陥ります。
他方、事件の要因となった浪人の処遇問題について幕府も本格的な対策を講じざるをえず、後継者不在による大名家の断絶を防ぐために所謂「末期養子の禁」が緩和され、また諸藩に対し浪人の積極的な登用が呼び掛けられるなど、正雪が起こした慶安の変は「幕政が文治主義へと転換する契機の一つ」として大きな意味合いを持つことになりました。
没後の発展────創作のキャラクターとして
「怪人・由比正雪」の誕生
江戸時代には「実録本」と呼ばれる、当時の出来事を脚色して物語化した一種の娯楽小説が数多く著されましたが、慶安の変を題材とした実録本も、少なくとも正雪の死後30年ほど経った天和年間には成立し、貸本屋や講談師によって大いに広められました。
中でも『慶安太平記』と名付けられた一編は全国的に普及し、明治初頭には『楠紀流花見幕張』という歌舞伎の演目にまで昇華されることになります。
『慶安太平記』の作中において正雪は尾張国(現在の愛知県西部)中村出身の百姓で、駿河の由井で染物屋を営む「吉岡治右衛門」なる人物の子として登場します。
尾張の中村といえば太閤・豊臣秀吉の生地であり、講談の世界で「染物屋の吉岡」といえば宮本武蔵の宿敵だった吉岡一門を思い出さずにはいられません。その上「母親が武田信玄の生まれ変わりを宿すという霊夢を見て生まれた」という話まで盛り込まれており、実際のところかなり胡散臭い正雪の出自について「反徳川の旗印となる宿命を背負って生を享けた」と言わんばかりの設定を数多く付加して、バックボーンの強化を図っています。
そんな「豊臣恩顧の家の出で吉岡憲法の縁者な武田信玄の転生体」は青年期を迎えるや武者修行の旅に出かけ、九州は天草で謎の老人「森 宗意軒」と出会ってこれに師事します。
森 宗意軒は島原の乱の指導者として史実に名を遺す人物で、一説には小西行長に仕えて朝鮮に出兵────途上で遭難して南蛮船に助けられ、オランダや中国で様々な技能を身につけた異色の経歴を持ったとされています。宗意軒は関ヶ原の敗戦で滅ぼされた小西家の復讐を志し、正雪に「打倒徳川」の器量ありと見て、自身が得た風水・天文の知識や兵法、幻術の類を余すところなく伝授します。
次いで紀州を訪れた正雪は藩主・徳川頼宣と寵臣・牧野兵庫頭の知遇を得て、やがて江戸に上って軍学者・楠不伝に弟子入りして南木流軍学を修得、歴史の通りに軍学塾を開くことになります。
以後の物語は(講談ゆえの誇張や色恋沙汰、荒唐無稽の剣劇バトルを含みつつも)概ね史実に沿って展開しますが、とにかく江戸期の実録本の時点で
といった要素は登場しており、これらが後年、かの『魔界転生』の下地として利用されることになるのです。
『魔界転生』の悲喜こもごも
初代『SAMURAI SPIRITS』が山田風太郎著『魔界転生』を元ネタとした作品であることは説明するのも今更な話ですが、原作小説の段階では由比正雪も主要人物の一人として登場していました。
己の才能を頼みに立身出世の大望を抱く不遜な野心家として登場した由比正雪は小倉藩の一員として島原に従軍した宮本武蔵への接近を図り、皆殺しにされた一揆勢が無惨な屍を晒す海岸で、密かに生き延びていた森 宗意軒が奇術を用いて死んだはずの天草四郎を再誕させる光景を目の当たりにします。
宗意軒の魔力に魅せられた正雪は即座に弟子入りを志願、徳川将軍家への恩讐を企む宗意軒の片腕となり、倒幕の戦力を養う拠点として江戸に軍学塾・張孔堂を構えます。
作品序盤は宗意軒の意を受けた正雪と四郎が剣豪たちを魔界衆として転生させ、紀州大納言・徳川頼宣を陰謀の共犯者として巻き込むといった「敵の陣容」の構築が中心となります。そのため正雪の出番も多く、また重要な場面として描写されていて大きな存在感を発揮している……ものの、柳生十兵衛と魔界衆の死闘がメインとなる中盤以降になると急速に影を潜め、結局のところ正雪は主人公の十兵衛とは相対することさえないままフェードアウトしてしまいました。
物語の舞台が江戸から近畿地方に移ったことによる、ある意味でやむを得ない流れではあるのですが、冒頭で主役のように大々的に出てきたことを思えば「尻切れトンボ」の感は否めないところです。
ご存知のように『魔界転生』は1981年に実写映画化され一躍その知名度を高めたわけですが、1,000ページ近くに及ぶ物語のすべてを2時間の映画に詰め込むことは至難ということで、その内容は大幅に削減ないし変更され────というか、原作からは幾分かけ離れたオリジナルストーリーが展開されることになりました。
多くの相違点の中でも特筆すべきは、原作では全ての元凶というべき存在だった森 宗意軒が完全に削除され、宗意軒から忍法「魔界転生」の術を唯一授けられた転生衆のリーダー的存在……と思っていたら7人中の4番目に十兵衛と対峙し、ほとんど見せ場なく瞬殺された天草四郎がラスボスに昇格していることでしょう。
島原の乱を起こした一揆勢の首魁「天草四郎時貞」は、自分たちの信仰になんら応じてくれなかった神を呪ったことで魔王ベルゼブブの助力を得て再生し、徳川幕府に報復するべく当代の豪傑たちを続々と悪鬼羅刹へと堕としていく……沢田研二演じる耽美的な魔人・天草四郎時貞は当時の日本映画界に絶大なインパクトをもたらし、この作品で確立された「悪の天草四郎」像は今日のサブカルチャーに甚大な影響を及ぼし続けています。
さて、そんな天草大活躍の割を食ったのが我らが由比正雪。
前述のように、本来は森 宗意軒が担っていた魔界転生衆の首領というポジションを実働部隊の隊員だった天草が兼任するようになったことで、映画版天草は「陰謀を練って全体を統括しつつ、現場に出て戦闘もする」という(制作サイドから見て)万能なキャラクターに仕上がりました。
そうなると諸悪の根源でもない、さしたる戦闘力もない、おまけに宗意軒も紀州藩も出てこないから中間管理職としての必要性もない────な由比正雪に出番が与えられるはずもなく……正雪はあえなく完全削除の憂き目に遭わされる羽目になったのです。
正雪 in サムスピ
初代『SAMURAI SPIRITS』
そんな由比正雪が何故に、明らかに映画版『魔界転生』をベースにした『SAMURAI SPIRITS』で「復活」を果たすことができたのか。
彼の名前が持ち出されるのは柳生十兵衛のエンディングにおいてですから、これはもう完全に『魔界転生』のオマージュとして盛り込まれた要素でしょう。
天草を倒して世の平穏を取り戻したのも束の間、十兵衛のもとに「怪人・由比正雪」が江戸の巷を騒がせているという風聞が届き、十兵衛は新たな敵を討つべく来た道をとって返して駆けていく────という描写ですが、『魔界転生』原作小説において十兵衛が正雪を討ち漏らしていることを踏まえた内容といったところでしょうか。
なお、シリーズの正史では初代で天草を打倒したのは覇王丸と定まっていますが、次作・真サムのキャラ紹介文においても「由比正雪」の文言はきっちり登場しているので、「天草に続く魔界からの侵入者として正雪が現世降臨を果たした」というのは歴とした公式設定です。
コミカライズ作品
初代サムスピを原作とした他メディア作品はいくつか制作されましたが、その中でも1994年に『増刊少年サンデー』誌に連載された漫画作品『-魔界武芸帖- サムライスピリッツ』は、ゲームでは端役もいいところの由比正雪をメインキャラクターに据える暴挙……もとい画期的なストーリーを展開した意欲作です。
魔界の侵攻にさらされ滅亡の危機に瀕する世界を救うため旅立ったカムイコタンの巫女・ナコルルは強者と戦うことを目的に生きる風来坊・覇王丸と出会い、魔界の手先たる「不知火党」と激闘を繰り広げる────と、大筋はそういった物語になります。
サムスピで「不知火」とくれば不知火幻庵なわけですが、本作には幻庵よりも上位の存在として「不知火魔道」なる魔人が登場します*7。
その正体は────まぁ、この流れでは察しがつくとは思いますが────暗黒神アンブロジァの力によって黄泉がえりを果たした由比正雪です。不知火はともかく「魔道」なんて名前を自ら名乗るとは随分イカれていますが、よく考えたら彼は生前から「俺は楠木正成の子孫・橘正雪だ!」とか言ってたイタい人だったので、気にするのは野暮というものです。
正雪の目的は各地で人々を襲撃し大量の血を流さしめることで魔界の門を開き、アンブロジァを現世に降臨させること……原作ゲームで天草が担っていた役割が正雪に与えられているというのは、奇しくも『魔界転生』映画化の際に森 宗意軒と正雪の役割が天草に吸収されたことの意趣返しとなっており、これには全国の正雪ファン(いるのか?)も溜飲の下がる思いでしょう
……と、言いたいところなんですが、最終話で自身の部下「死郎」の正体が服部半蔵の息子・真蔵に憑依した天草であることが判明、覇王丸の剛刀に斬り捨てられた正雪の血によって天草が封印から解放され、原作通りにラスボスを務めることになります。
つまるところ本作における正雪の役割は天草登場を印象付けるための舞台装置────早い話が「ダシに使われた」ということです。またしても、天草の存在に煮え湯を飲まされる結末となりました……。
『真SAMURAI SPIRITS』
前述の通り、初代の十兵衛のエンディングにおける「由比正雪の復活」は真サムにも引き継がれた設定となっております。
……でも、そんだけ。
その後、正雪がどうなったとか、幕府────というより十兵衛や半蔵が騒動に如何に対処したかとか、そういう情報は一切出てきません。ここにきて原作『魔界転生』をリスペクトしました、とばかりに……正雪再びのフェードアウト。
*1:苗字については「由井」「油井」など様々な表記がありますが、ここではサムスピでの表記に合わせて「由比」で統一します。
*2:南北朝時代に活躍し「軍神」と讃えられた、南朝方を代表する名将。戦国末期には子孫を称する人々が正成由来の兵法として「南木流軍学」を興し、広めて回っていました。
*3:楠木氏は伊予橘氏の流れを汲む(と称している)ため、正雪も「橘」を本姓としていました。
*4:名称は前漢の高祖・劉邦を補佐した張良と、三国志の名軍師・諸葛孔明に由来。暗に自分が両者に並ぶレベルの知恵者だと喧伝しているワケで……自信家にもほどがある!
*5:厳密には、主家を追われたり主家が滅んだりで無所属・無収入となった武士が「牢人」、本籍地を離れて流浪する者が「浪人」といった具合でまったく別の言葉でしたが、江戸時代には新たな仕官先を求めて「流浪する牢人」が増えたために、次第に同義的に遣われるようになっていきました。
*6:徳川将軍家の血族である親藩大名の中で最高位、将軍家に次ぐ存在と位置づけられた尾張徳川家・紀州徳川家・水戸徳川家の3家の総称。「餓狼御三家」や「ポケモン御三家」など、すべての「御三家」の語源です。